実在が確認できる最初の人物「蘇我稲目」
第8代孝元天皇の孫(またはひ孫)・武内宿禰(たけうちのすくね)を祖とする蘇我氏。系図には石川宿禰、満智(まち)、韓子(からこ)、高麗(こま)と名が並ぶが、存在が確認されるのは蘇我稲目が最初になる。
稲目の名が『日本書紀』に確認できるのは、宣化天皇元年(536)。稲目が大臣(おおおみ)に就任したことが記されている。以降、欽明天皇31年(570)に亡くなるまでの34年にわたって、大臣の地位に居続けた。
ヤマト政権下で蘇我氏はけっして古参ではない。稲目が大臣になったときには、すでに大伴金村と物部麁鹿火(あらかひ)が大連(おおむらじ)の地位にあった。
大臣と大連はどちらも天皇(大王)の右腕的な存在だが、大臣は経済・外交担当、大連は軍事・裁判担当と、役割は異なる。蘇我氏は遅れて要職に就いたのだ。


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