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長年権力の座に君臨するも、中大兄皇子による「乙巳の変」で滅亡の憂き目に…《蘇我氏4代》は本当に"暴君"だったのか

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4代にわたる栄華の末に滅亡した蘇我氏とはいったいどんな一族だったのか(写真:舞流sky/PIXTA)
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なぜなら入鹿を極悪人に仕立てなければ、乙巳の変がただの権力闘争になってしまう可能性があったからだ。乙巳の変が正しかったとするためには、蘇我氏を悪人に仕立てるとともに、蘇我氏を排除したおかげで、大化の改新が起こり、律令制が整ったとする必要があったのだろう。

「勝者の歴史」によって歪曲された蘇我氏の実像とは

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では、入鹿はどのような人物だったのだろうか。

蝦夷・入鹿親子が絶大な権力をもっており、一部に驕りややり過ぎがあったのは事実であろう。

しかしこれは、権力者によくある、常識的な範囲内であり、天皇を傀儡にしたり、専横を行ったりするまでには至らなかったと考えられる。

たとえば入鹿が単独で行ったとされる山背大兄王の襲撃だが、これもひとりで行ったものではない。

藤原氏の伝記『藤氏家伝(とうしかでん)』にも、「蘇我入鹿が、諸王子とともに謀って」と記載がある。山背大兄王を排除したいと考える皇族は多かったと考えられる。

また入鹿は山背大兄王とは従兄弟関係。とくに排除する理由もない。ほかの人々の計画に巻き込まれ、主犯とさせられた可能性も高い。

歴史はいつも「勝者の歴史」。勝者に都合のいいように歪曲されることも多い。蘇我氏や入鹿も、必要以上の罪を背負わされているのではないだろうか。

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