それでもファンが「下積み」を持ち出したくなる気持ちはわかる。タイプロによって選ばれた人間は、普通の新人以上に大きなものを最初から手にしていたからだ。すでに何年も活動している人気グループのネームバリュー、テレビのレギュラー番組、大手企業のCM、ドーム公演、そして多数の既存ファン。その巨大な資産をそのまま継承する以上、それに見合う責任感も身につける必要があったのは言うまでもない。
タイプロの成功のカギは、候補者を「人間」として見せたことだった。しかしそれは同時に最大の落とし穴でもあった。カメラが映せるのは人間の一部分でしかないにもかかわらず、長期間にわたって密着して涙や友情や努力を見せられると、視聴者はその人物を深く理解したような感覚を持ってしまう。「これだけ見てきたのだから、この人がどんな人間なのかわかった」と錯覚する。
オーディションで人間性を見抜くのは難しい
審査する側にも同じ限界がある。合宿で共同生活をし、何度も話をし、練習態度を見ることで、通常のオーディションよりはるかに多くの情報を得ることはできる。それでも、本当の意味での人間性まで見抜くことはできない。
だからこそ、今回の事件を理由に「菊池風磨たちには人を見る目がなかった」とまで言い切ることはできない。ただ、新人を既存の人気グループに加入させるという仕組みを採用するのであれば、選抜後の教育や生活面を含めたサポートを、従来以上に手厚くする必要があったのではないか、という疑問は残る。
オーディション番組は「選ばれた瞬間」がクライマックスとなる。しかし、職業人として考えれば、本当に重要なのはその後である。合格はアイドルとしてのゴールではなく、始まりにすぎない。数カ月間のオーディションで1人の人間を見極め、その直後から一人前のアイドルとして世の中に送り出す構造そのものに弱みがあったのかもしれない。
今回の事件によって揺らいでいるのは、猪俣個人への評価だけではない。努力すれば成長できる、仲間に認められれば夢をつかめる、長い時間見守ればその人物の本質までわかる。そのようなタイプロが作り上げた美しい物語そのものに疑問符が付けられているのだ。


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