大量生産され、数年乗られては下取りに出され、流行の移り変わりとともに消費されていく一般的な乗用車。しかし、センチュリーは、そもそも「耐久消費財」という枠組みで作られてはいなかった。
乗る人の品格やステータスを象徴するクルマが、3~4年ごとの軽薄なフルモデルチェンジで陳腐化してはならない。変わらない安心感と格式を保ち続けることこそが、センチュリーに課された絶対の使命だった。
ちなみに「クラウン」が3代目から10代目へとめまぐるしく世代交代を繰り返す傍らで、初代センチュリーは67年から97年までの実に30年間、1度もフルモデルチェンジを行わなかった。
ただ、エンジンや足回りなどの中身は時代の要請に合わせて磨き上げられた。要するに「変えてはならない骨格」を守るために「変えるべき中身」を愚直に進化させ続けた30年だったのだ。
2代目、そして現行3代目へ
97年、バブルの熱狂が去った日本に現れた2代目センチュリーは、単なる継承だけではなく「驚き」もあった。見た目は初代の富士山を思わせる端正なシルエットを受け継ぐもモダン化。ボンネットの下には、日本車史上最初で最後となる「5.0L V12エンジン」を搭載していた。
「要人を乗せて走るクルマが、万が一にも道端で立ち往生することは許されない」
開発陣は、12気筒のうち片側の6気筒系統が電気的・機械的に完全停止しても、残る6気筒で平然と走り続けられる左右独立2系統システムを構築。偏執的な信頼性を技術でクリアさせた。
クラウンがさらに10代目から14代目へと世代を重ねる20年の間、2代目もまた基本骨格を変えることなかったが、初代と同じく進化は行われ、日本の屋台骨を支え続けた。
そして2018年、豊田佐吉生誕150年に合わせて登場したのが3代目だ。
環境性能に応えるべく、V12からV8ハイブリッドへとパワートレインを刷新したが、熟練工が丸2日かけて研ぎ出しを繰り返す漆黒の「鏡面塗装」や、金型彫りだけで1カ月半を費やす江戸彫金の鳳凰エンブレムといった「匠の技」を極限まで研ぎ澄ませた。


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