"自由"のイメージで人気を集め、モダンな住宅街となっていく。1961(昭和36)年、駅前ロータリーに自由の女神像が建てられた頃から、商業集積地へと変貌していった。なお、地名は1965(昭和40)年、駅名は1966(昭和41)年に自由ヶ丘から自由が丘へ変更された。
自由の女神像は2010(平成22)年から行われた駅前ロータリー整備に伴い移転されたが、今も健在である。このときの整備で歩行空間が拡張し、広場が設けられた。
駅前ロータリーは整備されたものの、自由が丘は"再開発されない街"側であった。だが近年、再開発が活発になってきた。
2017(平成29)年に「自由が丘一丁目29番地区」の再開発準備組合が設立。市街地再開発事業が行われ、つい先日、9月17日に「自由が丘ミューズスクエア」がオープンした。
ほかに「自由が丘駅前地区」、「自由が丘東地区」でも市街地再開発事業の検討が進められている。
また市街地再開発事業ではないが、2022(令和4)年11月に「トレインチ自由が丘」がリニューアルオープン。2023(令和5)年10月には、自由が丘の地名の由来となった自由ヶ丘学園があり、のちにトモエ学園となった跡地に「JIYUGAOKA de aone」(自由が丘 デュ アオーネ)が誕生した。
自由が丘は商業地としての拠点性をますます高め、市街地再開発事業には目黒区の多額の予算も注ぎ込まれている。
九品仏は自由が丘と違って商業地として発展してこなかったこと、自由が丘という一大拠点に隣接していることから、再開発の機運が高まりにくい。
危険が少ない
また九品仏は、危険性の面でも再開発を行う必然性が低いと考えられる。
自由が丘が再開発される背景のひとつに、道路が狭く危険であることや建物の老朽化が挙げられる。商業地としてにぎわう通行人の多さに対して道が狭く、車も歩行者も窮屈だ。
一方で九品仏駅周辺は、大正から昭和にかけての耕地整理により碁盤の目のように区画が整えられ、道路幅も広く歩道にもゆとりがある。道が狭い、木造住宅が建て詰まっているといったような再開発の契機となる危険性をはらんでいない。


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