しかし、個々のムラの利害を離れた公共の問題、人権の問題という「ことの本質」をみるべきではないだろうか。最低限の人権をも無視した原発の運転を継続していることそれ自体の問題を、今一度お考えいただきたいのである(原発過酷事故が人々に残した傷については、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈り――未来の物語〔完全版〕』〔松本妙子訳。岩波書店〕が最も詳細に伝えている。これは、静かでありながら激しい「現代の黙示録」であり、「未来の物語〔原文は、未来の年代記〕」という副タイトルも意味深い)。
なお、福島第一原発事故後、世界的に再生可能エネルギーの開発、導入が進んだにもかかわらず、事故の当事国である日本は、この点でも後れをとっており、発電量に占める割合は、ヨーロッパの多くの国々やカナダ等に比べて低い(2割余)。これに関連する政策のあり方についても、原発再稼働に誘導したいという底意が透けてみえる。
さて、ここでも、最後に、起こりうる致命的な事態として、阿蘇山の破局的噴火の可能性についてふれておこう。その発生頻度は、過去の破局的噴火(約27万年ないし30万年前から9万年前までに4回)の間隔からみるなら単純平均では6万年から7万年に一回となるが、具体的な予測は困難である。もっとも、噴火間隔に明確な周期性はないとはいえ、最後の破局的噴火からすでに9万年が経過しているのは、気になるところだ。
そして、すでにそれを超える稼働も可能となってはいるが、たとえば原発の稼働期間を60年間とみると、数万年に一度の破局的噴火がその間に起こりうる確率は、無視してよいようなものとはいえないであろう。また、阿蘇山に破局的噴火が起こった場合、火砕流(火山砕屑物とガス成分を含み、数百度に達しうる高速度の混相流)や大規模な火山灰の降下がどの範囲にまで及ぶのか、ことに後者については、不確実性が大きく、予測が難しい(破局的噴火の規模は、通常の噴火とは全く別物である)。
条件次第では、複数の原発で冷却不能の事態も生じうるのであり、もしもそうなれば、大変な複合災害となる。その後の日本の相当部分に人が住めなくなるような事態だって、ありえないとまではいえないのだ。
付け加えれば、私は原発の問題について何度も書いてきているが、それは、原発周辺地域の住民を始めとする国民、市民(自分自身とその家族をも含めて)の安全確保という観点からの議論であって、イデオロギー的な色彩は全くない(私の議論については、拙著『ニッポンの裁判』第4章、『檻の中の裁判官』第3章、朝日新聞ウェブサイト「論座」掲載の原発訴訟に関する各論考〔2026年7月までウェブサイト「論座アーカイブ」で公開されていた〕。また、創作だが、『黒い巨塔 最高裁判所』も、原発訴訟を軸になるテーマとしており、制度等に関する記述は正確である)。
最高裁判事と巨大法律事務所
さて、原発訴訟に関連しては、数年前から、電力会社、最高裁、巨大法律事務所の関係が弁護士やジャーナリストの間で問題視されている。ジャーナリストの後藤秀典は、たとえば次のような趣旨を述べている(『東京電力の変節――最高裁・司法エリートとの癒着と原発被災者攻撃』〔旬報社〕)
「福島第一原発事故に関する国賠訴訟で裁判長として国の責任を否定する判決(2022年〔令和4年〕6月17日。なお、裁判官らのうち三浦守は反対意見)を下した最高裁判事(菅野博之)は、その翌月に退官し、さらにその翌月には、別個の原発関連訴訟(株主代表訴訟)で東京電力(なお、現在の正式名称は東京電力ホールディングス株式会社)の代理人を出している巨大法律事務所に顧問として就職した。
また、2016年に最高裁判事から別の巨大法律事務所に顧問として就職していた弁護士(千葉勝美)は、前記の国賠訴訟について、東京電力のために『元最高裁判所判事・弁護士』という肩書きを付した意見書を2020年12月に提出していた。


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