この事故によって、危機管理に関する日本の国際的評価は、当然のことながら決定的に下がった。たとえば、2013年の世界経済フォーラム(その年次総会がダボス会議)における危機管理能力ランキングで、日本は、139か国中67位、インド、ブラジル等の新興国よりも低く、下にある主要国は73位のロシアくらいという結果となった(危機管理能力を総合的に評価する国際指標は多くないが、このランキングは、当時、広く参照、引用されたものである)。
しかし、先の事故後大急ぎで作られた新しい規制基準は、火山に関する基準(いわゆる火山ガイド)を始めとして国際標準からみれば不十分な部分が多く、避難計画も対象から外されており、できる限り多数の原発の再稼働を可能にすることを前提としているとみられても仕方のないものなのである。
日本の裁判官は一般的にいえば重大な社会的影響を及ぼす判断をすることに消極的であるにもかかわらず、原発については差止めの判断が9件も出ていることにも、留意すべきであろう。
もっとも、火山に関する日本の規制基準は不合理であるとしつつも、「発生頻度が著しく小さい破局的噴火によるリスクは社会通念上容認されている」として差止めを認めなかった判断も、相当数ある。しかし、これは、「社会通念」というあいまいで評価的な概念を用いて、国家の危機管理に関し炭鉱のカナリアの役割を果たすべき裁判官の責務から逃げているものといわざるをえない。
「破局的噴火によるリスクはたとえ発生頻度が著しく小さくとも無視しえない」というのが危機管理のあり方としては当然であり、また国際標準でもあるからだ(IAEA〔国際原子力機関〕のガイドライン等。先の「社会通念」の内実は、「空気」とほとんど変わらず、また、実をいえば、「世論における明らかな多数派意見」でさえない。各種世論調査でも、なお、再稼働反対論が賛成論の半分前後はあるからだ。つまり、これらの裁判官たちは、「空気」、しかも「自分たちがそう考えるもの」に従って判決をしている疑いが強い。もしもそうなら、「私たちがみるところの『日本の空気』では容認されている」と正直に書くべきではないだろうか)。
私が以上のような日本の原発行政のあり方に疑問を感じるのは、たとえば、「陸上避難が困難な地域に住んでいる人々の人権をどのように考えているのか」が理解できないからである。日本の原発事故は、大災害に関連して起こることが多いと考えられるから、海空の避難についてもかなり困難になりうる。一体、国民の生命をどのようにみているのだろうか。
「原発の真横を通って逃げる」避難訓練
地元自治体の責任となる避難計画については、元経産省官僚古賀茂明が、次のような趣旨を述べている(『日本中枢の狂謀』〔講談社〕)。
「原発稼働最優先の地元自治体の避難計画は、道路が大渋滞になることやその寸断の可能性すら想定していない。関西電力高浜原発の重大事故を想定した広域避難訓練(2016年8月27日)では、ごく普通の天気だったにもかかわらず、雲が多くて視界が悪いというので陸上自衛隊の4機のヘリコプターのうち2機は飛べず、波が高いというので海上自衛隊と海上保安庁の3隻の船も使えなかった。ヘリと船で運ぶ予定だった避難者たちは救急車等で運ばれたが、避難できる道路が1本しかないため、車は、原発の方にどんどん近付いて行き、最後にはその真横を通って逃げることになった。ちなみに、この時の訓練では、渋滞を避けるため、車はわずか30台しか走らせていない。
要するに、住民を守るためではなく原発再稼働を守るための避難計画・訓練なのだ。しかし、メディアも、再稼働が現実のものとなってからは、こうした問題をほとんど取り上げていない〔なお、ほかにも多数の問題例が記載されているが省略〕」
福島第一原発事故レヴェルの事故が起きれば、欧米諸国であれば、原発は即時停止、廃炉となり、再稼働などといえば、猛烈な反対が起きるだろう。日本の世論は、まさに喉元過ぎれば熱さを忘れるで、原発再稼働はやむなし、運転期間延長もやむなし、新設も考えられないではないという方向に誘導されてきている。


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