有料会員登録
キャリア・教育

最終回《朝ドラ》「風、薫る」73歳で亡くなった大関和、看護婦として挑んだ関東大震災での「最後の仕事」

7分で読める
東京都復興記念館(写真: Morisot / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

INDEX

明治34(1901)年、大関和は東京看護婦会に辞表を提出すると、箱根にしばらく滞在している。亡き娘のことを考えながら、これから自分はどのようにして生きていくべきか。今一度、自分の人生とゆっくり向き合いたかったのだろう。

しかし、そんなときでさえ、つい仕事をしてしまうのが、いかにも和らしい。『婦女新聞』『婦人新報』『女学雑誌』などから依頼を受けていた原稿に、じっくり取り組んでいる。出発の時点で、ナイチンゲールの文献や看護の専門書などを荷物に入れておいたようだ。

励みになったナイチンゲールの生き方

何度読んだかわからないナイチンゲールの言葉を噛みしめて、その生き様を改めて振り返る。そんな良い機会にもなったのではないだろうか。これはナイチンゲールに限ったことではないが、偉人の伝記は読む年齢によって受け取り方も異なるし、着目する時代も変わってくる。

やはり自分が若い頃は「偉人がどのように転機を迎えたのか」が気になるところ。とりわけナイチンゲールは、看護婦になるにあたって、両親から大反対を受けている。召使いがやるような仕事をなぜやるのか。生まれが裕福だっただけに、周囲を説得するのにナイチンゲールがどれだけ苦心したことか。和もまた、離縁して地元を出て、苦難の中で一から東京生活をスタートしている。ナイチンゲールの下積み時代は、励みになったことだろう。

2/4 PAGES
3/4 PAGES
4/4 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

キャリア・教育

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数