また実際に病院で働いてからは、ナイチンゲールが行った看護の具体的な仕事の話が役立ったはずだ。クリミア戦争で従軍して、兵士の看病にあたったとき、ナイチンゲールはまず野戦病院の衛生状況の改善から取り組んでいる。シーツの交換、換気、食事と病人を取り巻く環境を整備していくことで、結果的に致死率を低下させることになった。
和が当時、流行していた赤痢の患者に対して行った対処は、クリミア戦争でナイチンゲールが行った衛生面の改善そのものであり、やはり結果的に数々の患者の命を救うこととなった。
そして今、日本を代表する看護婦として広く知られて、現場から一線を退くことも考えているなかで、和はナイチンゲールの晩年に思いを馳せたのではなかっただろうか。
37歳で病に臥せたナイチンゲール
実のところ、ナイチンゲールは、クリミア戦争での負傷兵に対する献身的な看護によって、その名が世界中で知られるようになった頃、すでに病に侵されていた。
2年にわたる無理がたたったのだろう。全身が衰弱して、心臓も弱っている。今にも倒れそうな状況をみて、医師からはこんなことが告げられたという。
「このままでは一生、病気が治らなくなります。完全に休養をとってください」
このときにナイチンゲールはまだ37歳。医師の言う通り、無理をせずに、回復するまで休むべきである。
だが、それができる性格ならば、これほど病状が悪化することもなかっただろう。ナイチンゲールはソファーから起き上がれないまま、息を切らしてもなお、政府の報告書に目を通した。
そこまでしたのには理由がある。ナイチンゲールはクリミア戦争での悲惨な野戦病院を経験して、陸軍医局の組織の根底から変えなければならないと痛感。病院運営の規則の改正を提案するべく、病を押して仕事に没頭したのである。
ナイチンゲールは半年あまりもかけて、800ページにもわたってびっしり書かれた改革案を書き上げている。もっとも、ナイチンゲール自身は動くことすらままならない。そのため、ナイチンゲールは周りに集まってきてくれた弟子たちを頼りにして、病床でも働くことをやめなかったのである。


※ログイン後、コメント入力が可能です。