医師のサザランド博士は、ナイチンゲールの手足となって協力した一人だが、さすがに心配になったのだろう。休暇をとるべきだと手紙を書くと、ナイチンゲールは怒りをあらわにした。
「私は首も両手もなくして横たわっているというのに、あなたはまだ私にうるさく言うのですか」
そうして病床の身とは思えないほど、昼夜問わず改革に邁進したナイチンゲール。彼女の意見を取り入れていない大病院はどこにもないほど、大きな影響力を発揮した。
1860年には、セント・トマス病院にナイチンゲール看護婦養成学校を開校。現代看護術を普及させるのに尽力した。
相当な無茶をしたにもかかわらず、ナイチンゲールは90歳と長生きしている。そのうち、約50年あまりを病床で過ごした。87歳のときには女性として初のメリット勲章を与えられている。
さすがに晩年は、独特のとげとげしさはなりをひそめて、穏やかになったが、やるとなれば徹底的にやる気質は変わらなかった。その激情こそが、寝たきりでありながらも、ナイチンゲールの体中にエネルギーをたぎらせたのではないだろうか。
雅からのバトンを受け取った和
そんなナイチンゲールに多大な影響を受けた大関和もまた、エネルギッシュさでは負けてはいなかった。
おそらく箱根で休息しているうちに「やっぱり現場で働きたい」という思いを募らせたに違いない。そして、長きにわたる友もまた、そんな和の性格を熟知していた。
ある日、箱根にいる和のもとに一通の電報が届く。鈴木雅からで「スグ カエレ」というではないか。それに応じて東京に戻った和は、雅から驚くべきことを告げられる。
「私は引退することにしました。東京看護婦会は和さんが引き継いでくれませんか?」
一から派出看護を立ち上げて以来、これまで利益をしっかり出しながら、慈善としての看護も実践してきた雅。和の協力もあってここまで来たが、事業が大きくなるほど、雅が一人で抱え込む負担も増していった。そんな中、「看護婦規則」の制定が追い打ちをかけることになった。


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