「揚水ポンプ室」と書かれた一枚が残っていたのだが、90年以上も前に造られた建物となれば、管理者でも把握しきれていない痕跡が残っているものなのだろう。
「壊さなかった」のではなく「壊せなかった」
取材前は、「地元の人たちに愛されてきたからこそ、この姿のまま大切に守られ続けてきたのだろう」と、なんとなく思い込んでいた。だが中川所長に話を聞くと、事情は少し違っていた。もっとも、それは拍子抜けというより、意外な発見に近かった。
「この状態を維持していったほうが経済性もいいので、この状態を保っているというところです」。竣工当時の意匠がほぼそのまま残っている理由を尋ねて、まず返ってきたのは、意外にも即物的な答えだった。もし壁の隙間をすべてコンクリートで埋めて重力式ダムに造り替えるとすれば、堤体は今よりずっと重くなる。重くなった分だけ地盤への負担も増し、最悪の場合、堤体をすべて解体して一から造り直すことになりかねないという。つまり、当初の意匠を残している一番の理由は、造り替えるほうがリスクとコストの両面で割に合わないという、意外にも実務的な判断だった。所長は続けて、「歴史的な構造物を預かる管理者には、次の世代にきちんと引き継いでいく責任もある」とも語った。実務的な判断と、管理者としての意識。その両方が、丸沼ダムの姿を今に残している。
もう一つ挙げられたのが、基本設計を手がけた物部長穂の耐震理論だ。「当時から結構耐震に対しては強い構造物として設計していただいて、現在に至った」。実際、耐震調査でも問題は確認されておらず、90年以上前の設計そのものの完成度の高さが、今も構造を支えている。
加えて、地形の条件も大きかったという。丸沼ダムには川から水が流れ込まず、周辺の沢からの雨水が頼りだ。川に面したダムのような急激な水位の増減や、台風による洪水の直撃を受けにくい立地であることも、この姿が残った一因だ。


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