メディアにも当事者を特別な存在として扱うのではなく、一人の生活者として多面的に描く姿勢が求められるようになった。「かわいそうな人」「障害を乗り越えてがんばる立派な人」という見方だけではなく、喜怒哀楽も欠点も欲望もある普通の人間として描くべきだという感覚が、以前よりは多くの人々に共有されるようになっている。
ところが、「24時間テレビ」の演出はそのような時代の変化に追いついているようには見えない。悲しい過去を紹介するナレーションがあり、芸能人が涙を流し、壮大な音楽が流れ、最後には「挑戦をやり遂げた」という達成感で締める。この演出はテレビ的にはわかりやすいが、視聴者がメディアの作為に敏感になった現在では、以前のように素直な感動を生むどころか、「またこのパターンか」「感動させようとしている」という冷めた反応を誘発しやすくなっている。
また、そんな視聴者からの不信感をより一層高めるきっかけになったのが、2023年に発覚した日本海テレビの元幹部社員による寄付金着服問題だった。日本テレビの系列局の元社員が「24時間テレビ」に寄せられた寄付金264万円あまりと会社資金の一部853万円あまりを着服していたということが発覚して、「24時間テレビ」のチャリティ番組としての信頼は地に落ちた。
安全な企画作りに終始した
もちろん、この不正は系列局の一社員によって行われたものであり、「24時間テレビ」という番組全体が寄付金を不正に扱っていたわけではない。それでも、視聴者から善意で預かった寄付金が着服されたという事実は、チャリティを存在理由としてきた番組にとって最悪の事態だった。通常のバラエティ番組の不祥事とは意味が違い、「善意を訴えて募金を集める側が、その善意を裏切った」というイメージが残ったからだ。
だからこそ、その後の「24時間テレビ」では、単に寄付金管理のルールを厳格化するだけではなく、番組そのものについても「これまでのやり方でいいのか」を問い直す姿勢が求められていたはずだ。障害者をどう描くのか、芸能人による感動演出をどこまで続けるのか、チャリティとテレビショーをどう両立させるのか。長年浴びてきた批判と大きな不祥事を受けて、それらの課題に番組内容そのもので応えることが、本当の意味での信頼回復につながるはずだ。


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