また、1965(昭和40)年8月には運輸省と建設省が全国52カ所の踏切を立体交差にするよう指定し、その中に祐天寺踏切も含まれていた。そして1969(昭和44)年に祐天寺を含む下り高架線、翌年に上り線が開通している。
駅前広場の整備や鉄道の高架化は、再開発の契機となる。国土交通省による市街地再開発事業の目的には「公園、広場、街路等の公共施設の整備」が含まれている。裏を返せば、公共施設の不足が事業の出発点となるのだ。
全国連続立体交差事業促進協議会は「鉄道立体交差事業に併せて駅周辺の再開発が促進される」と述べており、実際に高架切替に前後して市街地再開発事業が進められた例が存在する。
しかし、市街地再開発事業を確立した都市再開発法の制定は1969(昭和44)年。前身にあたる市街地改造法の制定ですら1961(昭和36)年である。
祐天寺では駅前広場の整備が市街地再開発事業の確立よりはるか前に完了し、高架化もまた直前に着手されていた。再開発の起爆剤となり得る都市基盤の整備が、いずれも制度の到来を待たずに済んでしまっていたのだ。
タワマンや超高層ビルなしの整備手法
だからといって、祐天寺の街が手つかずだったわけではない。
祐天寺駅周辺は古くからの狭く曲がりくねった道が残り、木造住宅が密集し、防災上の問題を抱えていた。そこで「上目黒・祐天寺地区」として、1987(昭和62)年度〜2006(平成18)年度にかけて木造住宅密集地域整備事業が実施された。
木造住宅密集地域整備事業とは、「古くなった建物を燃えにくく、住みやすい住宅に建替えたり、消防車や救急車が家の前まで入ってこられるように道路を広げたり、みんなの憩いの場所となる公園をつくるなど、安全で快適な街への整備を進めていく事業」である(目黒区公式サイト)。
一方、市街地再開発事業の目的は「都市再開発法に基づき、市街地内の老朽木造建築物が密集している地区等において、細分化された敷地の統合、不燃化された共同建築物の建築、公園、広場、街路等の公共施設の整備等を行うことにより、都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新を図る」ことである(国土交通省公式サイト)。
また、敷地を共同化して高度利用することにより公共施設用地を生み出し、高度利用で新たに生み出された床(保留床)を処分し事業費に充てる仕組みとなっている。
両事業とも街の防災性を高める点は共通しているが、木造住宅密集地域整備事業は市街地再開発事業のように高度利用することを目的としていない。


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