その中で、家族それぞれが「この状況をこれ以上悪くしないために、自分はどうふるまえばいいのか」を無意識に考え始めます。不登校ではないきょうだいは、これ以上心配をかけないように、「大丈夫な子」「手のかからない子」でいようとします。不登校の子は、「守られる存在」「配慮が必要な存在」として自分を位置づけていきます。
だれかに命令されたわけではありません。空気を読み、そうしないと迷惑をかける気がしてくるし、そうすることが家族を守ることのように感じられるからです。
その結果、きょうだいは甘えない、頼らない、弱音を吐かない方向に行き、不登校の子はこれ以上家族に負担をかけないように自分の存在を意識しながら過ごすようになります。こうして家庭の中では、それぞれの役割のようなものが静かに形づくられていきます。
〝正しさ〞だけではうまくいかない
不登校は本当に千差万別です。家庭環境、学校環境、性格、発達特性、人間関係、きょうだい構成、地域性、保護者の価値観。同じ「不登校」という言葉でも、置かれている状況は大きく違います。
ただ、「不登校の悩みは家庭ごとに違っているようで、根っこの苦しさはとても似ている」ということです。そして同時に感じるのが、「〝価値観の枠〞が、子どもを追い詰めてしまうことがある」ということです。「学校へ行くのが当たり前」「みんなと同じようにするべき」「今がんばらないと将来困る」。もちろん、これらを大切に思う気持ちも自然なことです。
でも、これらの〝価値観の枠〞が強くなり過ぎると、子どもも、保護者も、苦しくなってしまうことがあります。だから私は、いろいろな考え方に触れることが大切だと思っています。「こういう見方もあるんだ」「こんな考え方もあるんだ」そうやって、自分の中の〝引き出し〞を増やしていく。すると、子どもへの見え方が少し変わったり、自分自身を責める気持ちが少し軽くなったりします。
私自身も、子どもたちの不登校を経験する中で、何度も価値観を崩されてきました。「なんとかしなければ」「早く学校へ戻さなければ」そう思っていた時期もありました。けれど、関われば関わるほど、〝正しさ〞だけではうまくいかない現実にぶつかりました。
子どもには子どものタイミングがあります。安心できること。否定されないこと。自分で決められること。そうした土台が少しずつ整っていくと、子どもたちは、自分の力で前へ進み始めます。
きょうだいが続けて不登校になると、親の頭にまず浮かぶのは「なんとかしなければ」という思いです。
けれど、この「なんとか」という言葉はとても曖昧です。多くの場合、それは無意識のうちに「学校に戻すこと」を意味しています。
焦っても何もよいことはありません。焦れば焦るほど「学校に行けるか行けないか」と、大きな変化ばかりに目が向いてしまうからです。焦って急がせるほど、そのタイミングは見えにくくなり、その小さな変化に気づきにくくなります。



※ログイン後、コメント入力が可能です。