卵子を提供していない朱さんは、「法律上の妻」であっても、夫と不倫相手が違法な方法で作った受精卵を単独で廃棄する権限を持たないと理解される。
中国では体外受精を受ける際、医療機関が身分証や結婚証などを確認する仕組みが設けられているが、不正な方法でつくられた受精卵を誰が、どのような条件で処分できるのかについては明確なルールがない。病院が朱さんの求めに応じて廃棄すれば、夫と不倫相手から訴訟を起こされるリスクがある。
入り口では結婚証を要求するほど厳格な制度でありながら、その入り口を不正に突破された後の「出口」が用意されていない。
一人っ子政策時代のルールも影響
今回の騒動の背景には、生殖補助医療の技術や政策の変化に法が追いついていないことも浮き彫りにした。
中国政府は21年、1組の夫婦に3人までの子どもを認める「三孩政策」を導入し、一人っ子政策の時代に続いた出生抑制から、出生を支援する方向へと人口政策を大きく転換した。
生殖補助医療の政策支援も拡大し、26年6月時点で、政府の承認を受けた生殖補助医療機関は645施設に達した。不妊治療の一部を公的医療保険の対象にする動きも進んでいる。
一方で、生殖補助医療の利用が広がれば、それまで想定されていなかった家族関係や権利をめぐる争いも増えることが想定され、今回の事件は、そのひずみが極端な形で表れたと言える。
生殖補助医療を規制する基本的なルールである「ヒト補助生殖技術管理弁法」が施行されたのは01年で、 出産抑制時代に策定されていたことに加え、省庁レベルの規則にとどまる。
生殖医療を巡る関連法規では独身女性の卵子凍結が禁止されているが、女性の晩婚化や出産奨励への転換を背景に見直しを求める声が多い。生まれてくる子どもの法的地位や福祉をどう守るのか、凍結された卵子や受精卵を法律上どのように位置づけるのかについてもあいまいなままで、整理されていない点が少なくない。
法律の専門家からは、省庁レベルの規則ではなく、生殖補助医療を包括的に規制する法律の制定を求める声が続出している。
一人の女性が始めた訴訟は、夫婦間の争いを超えて、中国社会にその問いを突きつけている。


※ログイン後、コメント入力が可能です。