暮らしていたのは、大井町にあった築50年のアパートだった。
「二葉荘というところに住んでいました。部屋の掃き出し窓を開けると、すぐ上を大井町線が走っていたんです。だから、午前1時から4時の間しか静かな時間がない。ずっと悪夢を見ていました」
そんな時期に生まれた曲が、「超 Super Star」だった。
酒と借金に沈んでいた現実を、真逆の言葉で笑い飛ばす。
その反転こそ、SKRYUらしい表現だった。
「どん底に行った時にできた曲が『超 Super Star』だったのは、面白いですよね」
のちにこの曲は、ライブでも大きな熱を生む一曲になっていく。
好きなことを仕事にしても、自由になるわけではない
上京後、SKRYUの活動を押し上げたのはライブだった。
コロナ禍でステージに立てなかった時期、SKRYUは曲を書きためていた。やがてライブが再開し、代官山UNITで初のワンマンに挑む。約400人収容の会場だった。
「一発目で入るわけないだろと思っていたんです。でも、2時間で即完しました」
23年には「超 Super Star」や「How Many Boogie」がバイラルヒット。「How Many Boogie」は現在までにSpotifyで2600万回を超えて再生されている。
ライブの規模も急速に拡大した。24年の日比谷野外大音楽堂公演に続き、全国10都市ツアーは総動員1万人を超え、全会場がソールドアウト。翌年には幕張メッセでのワンマンライブを成功させ、次に控えるのは、ぴあアリーナMMでの2Days公演だ。
SKRYUのライブには、ラップのスキルだけでなく、MCで笑いを生み、観客とのコール&レスポンスで会場全体を巻き込む力がある。


※ログイン後、コメント入力が可能です。