当時、5000円ほどで買った中古のボイスレコーダーを持ち、母親の軽自動車で家の近くの川へ向かった。家では声が響いてしまうため、夜になると川沿いまで車を走らせ、レコーダーに向かって言葉を吹き込んだ。
銀行員時代に書いた曲のひとつが、「Mountain View」だった。
「川から見える山の眺めが、自分にとっては、まだ登ったことのないキャリアのように見えたんです。銀行員を辞めようかなと思っていた時期に書けた、すごくマインドフルな曲でした」
ラップへの思いを抱え続ける一方で、銀行員として働いた時間は、SKRYUに「信用」の重みも教えた。
ある飲み会で「ラップをやっています」と話し、周囲に促されて披露した時のことだった。スーツのジャケットを脱ぐと、その下に着ていたのは半袖のシャツだった。
「それは嘘だからね。われわれを騙しているのと一緒だから。なんで黙っていたの? 信用がなくなっちゃうからね」
ジャケットを着ていれば、下が半袖であることは外からはわからない。それでも、見えない部分を取り繕う姿勢そのものが、信用に関わると教えられた。
「銀行員は、お金を扱うだけでなく、人を売る仕事でもある。だから、見え方や誠実さに対して、アーティストよりも敏感だった気がします」
その厳しさが、SKRYUにとって「信用」を考える原点になった。
なぜ安定した仕事を辞め、東京へ向かったのか
銀行員としての仕事が本格化し始めた頃、再びラップへの手応えをつかむ出来事があった。
入行1年目、全国規模のMCバトル「戦極令和杯」で優勝。SNSでも反応が広がり、自分でリリースした楽曲にも、これまでとは違う手応えがあった。
初めて、「ラップで生きていけるかもしれない」という感覚が芽生えた。


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