そんなわけで、本来的にこの町は「松山」だ。だから地元の人たち、とくに古くから暮らしている愛着の強い人たちは“東”を付けずに「松山」と呼ぶのである。
中世から近代はじめにかけては松山城の城下町。江戸時代の大半は、日光脇往還の一宿場町として過ごしてきた。5・10の日に市が立つ、一帯の物資の集散地という一面も持っていた。
東上線東松山駅のすぐ西側に境内を広げる箭弓(やきゅう)稲荷神社は、奈良時代の創建とも伝わる古社だ。松山町は箭弓稲荷の鳥居前町としても栄えていたのだろう。そして長年、東松山駅前の大鳥居も、この町のシンボルだった。
駅前の大鳥居がシンボルだった
東武鉄道坂戸駅管区副管区長で東松山駅の駅長・宮原正浩さんも、次のように話す。
「大きな鳥居で有名な駅っていうイメージをお持ちの方も多いようですね。ただ2008年に駅前のロータリーの改修があって、その時に撤去されました。鳥居そのものは地元の方が作ったものだったそうです」

