しかし、帰宅後もそのとき感じた恐怖は消えず、ほとんど眠れないまま朝を迎える。それでも、日常はいつも通り動き出す。昨夜の経験を同僚と共有したり、弱音を吐いたりする時間があれば、少しは救われたかもしれないが、Aさんは管理者としてスタッフから相談を受ける立場にあり、自分から助けを求める余裕はなかった。
Aさんは当時を振り返って、「武士のように耐えるしかなかった」と話す。そこから限界が訪れるまで、さほど時間はかからなかった。
張りつめていた緊張が限界に達し、体が動かなくなり、職場に行けなくなった。自分でも限界に近づいていることは感じていたが、誰にも言えず、耐えるしかない――そのようななかで起こった体のSOSサインだった。
1年間の休職を経て、ようやく体調が回復の兆しを見せ始めたAさんは、現在、訪問看護以外の働き方を探すため新たな一歩を踏み出した。自分の経験を生かせる場所を模索している。
「刑務所みたいだった」労働
関東地方の公立病院で経験した4年間の苦い記憶について、それまで誰にも話したことがなかったというBさん(48)が、初めて重い口を開いた。
「ここでなら子育てしながら働ける」。そう思って就職したBさんを待っていたのは、閉ざされた組織文化と独特のローカルルールだった。
新人看護師には、嫌がらせをして退職に追い込む、「子育てをサポートします」と言いながら、実際に子どもの体調不良で休むと「またなの?」という目を向けられる。患者への暴言や、ナースコールに応じないといった不適切な対応も当たり前のように起きていた。
医学的根拠に基づかない処置や看護ケアが、疑問視されることもなく続けられている―――Bさんはその環境を「刑務所みたいだった」と振り返る。それまでの看護師経験からみても、到底納得できるものではなかった。

