そして、中山さんは厳しい選考を勝ち抜き、見事13年ミス青山コンテストのファイナリストに選ばれた。2年生の1年間を準備に捧げたかいはあったと言える。
リベンジの舞台は整った。
「今度こそグランプリを」
だが、中山さんのミス青山の挑戦は、準グランプリという結果で幕を下ろした。
大きな挫折の中で迎えた就職活動
前提として、ミス青山の準グランプリは素晴らしい結果だ。ファイナリストになるだけでも難しいコンテストで、ファイナリスト6人中2番という順位なのだから。
だが、中山さんはフレキャンのリベンジとして臨んでいた以上、グランプリ以外は納得できなかった。
「ミス青山に出る前も、ミス青山に出てからも、自分にできる努力は最大限したつもりでした。でも、望んだ結果が得られなかった。『なんでなんだろう?』って思いましたし、自分が否定されたような感覚でした」
自他ともに認める"優等生"だった中山さんは、これまで必死に努力して結果が出なかったことはなかった。大学受験では青学を目指し、努力を積み重ねて合格を勝ち取った。ミス青山の選考でも、アナウンススクールに通って発信力を身に付ける努力をして、ファイナリストに選ばれた。
「努力さえすれば大丈夫」
この考えは中山さんの芯であり、中山さんそのものでもあった。しかし、現実はそれを否定した。中山さんはこのとき初めて、努力をしても叶わない現実があることを知った。
今まで挫折を知らずに生きてきた人間が、わずか2年で2度も大きな挫折を味わったのだ。そう簡単に気持ちの整理をつけることはできない。
しかし、3年の11月にミス青山が終了し、翌月には15卒の就職活動解禁が迫っていた。だが、当然ながら中山さんは就活に切り替えられるメンタルではない。あれだけ憧れていたメディア業界への思いにも、迷いが生じている感覚もあった。
「就活、どうしようかな……」
そんな中山さんのもとに、ある一通の誘いが届いた。その詳細は後編でお届けする。

