時は下り1706年、根津にとって幸運な出来事が起こる。五代将軍綱吉によって、根津権現(現在の根津神社)の社殿が造営されたのだ。
ここは綱吉の兄、甲府中納言家の屋敷跡で、綱重の長男家宣が生まれた地である。根津神社はもともと千駄木村の小社だったが、家宣が世継ぎとなることから、綱吉が家宣の産土神(守り神)である根津社を甲府屋敷の跡地に移転した。
根津権現の造営が始まると、大工や左官などの職人を客とする居酒屋ができた。やがて女性を置く岡場所(私娼街)となり、江戸の中でも特に栄えた岡場所だったと言われている。根津の街は、根津権現の造営を機に門前町として繁栄したのだ。
なお根津権現は明治になって根津神社と改称され、1931(昭和6)年に国の重要文化財に登録されている。
遊郭の移転、震災と戦災
根津の岡場所は吉原のような幕府に公許されたものではなかったため、弾圧と復活を繰り返し、1841年の天保の改革により取り払われた。
しかし1869(明治2)年には東京府から許可されて公娼開設に至り、根津遊郭は多くの遊客を吸引した。大通り(現在の不忍通り)には桜を植え、ぼんぼりを灯して賑わったという。
1877(明治10)年に今の東京大学が開設されると、学生が遊郭で遊んでばかりでちっとも勉強しないことから移転の議論が起こり、1888(明治21)年に洲崎へ移り、根津の賑わいは失われていった。

