「生まれなかった自分」を想像する幸福

超訳
自分が生まれてなかったらって考えてみる、ただそれだけでなんか幸せ!
逐語訳
生まれてこなかったと考えてみよ。何という幸せ、何という自由、何と大いなる余裕に恵まれることだろう!
仕事に家事に世界情勢にとストレス社会な世の中、疲れ果てて駅のベンチから立てなくなってしまった時、そこで自分が生まれなかったらと想像してみる。自分がこの世に生まれない……そうすると、今感じているストレスも負の感情も、将来への不安も死への恐怖も全部消え去る!
この呟きも収められている『生誕の災厄』は、シオランお得意の、生まれたことへの呪詛に満ちたアフォリズム集なわけだが、その題名のキャッチーさからかこの本からシオランに入る人も多い。日本でも随一にイカした装丁で新装版が出ていて、文庫化した『崩壊概論』(有田忠郎訳、ちくま学芸文庫)に次いで手に取りやすい。
この意味で世界的にも有名で、特にヨーロッパでの人気も高い。そういえば数年前には題名がまんま『生誕の災厄』という、子供型のアンドロイドを主人公にしたオーストリア映画が作られたが倫理的によろしくないと映画祭での上映が取りやめになっていた(ついでにこんな駄作にシオランを引用するなや! とルーマニアの映画批評家がキレたりもしていた)。
このように『生誕の災厄』を通じてシオランのお騒がせ精神は現代にも受け継がれている! そして、そんな本の中核にあるのが、皆さんご存知「反出生主義」!
生まれることの否定と、産むことの否定がここにおいては思想にまで高められているわけだが、名前自体がついたのはつい最近という一方、古代ギリシャの悲劇詩人ソポクレスやブッダ、ドイツの哲学者ショーペンハウアー、それからシオランがこれに類する言葉や考えを、古代から今に至るまで紡いできた。
紹介者は生まれたことがもちろんイヤで、子供を作らされて自分が抱く絶望を再生産しなくちゃならない将来があるかもしれないことにウンザリしてきた。だがこの概念を知って何か色々と吹っ切れたんだ。そういう過去も未来もクソと切り捨て、今広がっている自分の人生を生きていってしまえ!と。


