「ウィンドウズ95」が日本で発売された1995年。これからインターネットが広く普及しようというとき、私は青山学院大学の3年生だった。東京・恵比寿にあるナウル・マンションで、何人もの青学生と一緒に十数台のPCに囲まれ、昼夜を問わずプログラムのコードを書いていた。これが「電脳隊」の始まりだ。
そうした中、知り合いのつてを頼って知り合ったのが、慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の学生の田中祐介君だった。以降、電脳隊は青学大とSFCの混成部隊になり、96年12月には田中君を社長、私を取締役として、有限会社電脳隊を設立した。
青学大、SFCに東大工学部生も加わる
そこから先は企業のホームページの作成代行などを手掛けてきた。簡単にいえば受注生産で下請けの単純作業だ。
ただ、私たちは価格競争ではなく、差別化競争へと戦略を切り替えなければとも思っていた。プラットフォームという仕組みを作り、そこから使用料としてお金を取ろうと考えた。差別化戦略を探ろうと、97年の夏休みには1カ月間休業し、アメリカのシリコンバレーを訪問。盛り上がりつつあるモバイルインターネットの息吹を感じる経験もした。
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