絵画や彫刻と同じように、自分の手で形を整え、磨き上げ、世間に披露する作品。完成した後も、その作品が傷つかないように、評価が下がらないように、こまやかに管理し続ける。子ども自身は一人の独立した人間であるはずなのに、いつの間にか親御さんのライフワークの中の「最高傑作」として位置づけられてしまっているのではないか、と。
自分で選ぶ練習を今から始める
ここで誤解のないように申し上げておきたいのですが、「東大でうつになる人の親は、みんなこういうタイプだ」という話では決してありません。東大生の親御さんには、本当に多種多様な方がいらっしゃいます。子どもの自由を最大限尊重して育ててこられた方も、適度な距離感で支えてこられた方もたくさんいます。
今回お話ししているのは、あくまで「東大うつ」に陥った一部の学生の背景に、こうした親子関係が確かに存在することがある、という限定的な観察にすぎません。
そして、もう一つお伝えしたいことがあります。仮に、ここまでお話ししてきたような「親の作品」として育ってきてしまったとしても、そこから自分の人生を取り戻すことは、決して不可能ではないということです。
僕の周りには、ご両親から強い期待を受けながらも、それを「自分の意志」へと再翻訳することに成功している友人がたくさんいます。たとえば、東大に入ってから「自分が本当にやりたい研究テーマ」を見つけ、そこで初めて自分の足で歩き始める同期。あるいは、進学振り分けで思い切って親の希望と違う学科を選び、そこで自分の人生を引き受け直す友人。「親に与えられたレール」を「自分の選んだ道」へと書き換える作業は、時間はかかっても、確かに可能なのです。
Yさんもいま、その作業の途中にいます。今日着る服を自分で選ぶ。今日食べるものを自分で決める。本当に小さな選択を、一日に一つずつ積み重ねていく――。長年「親の作品」として整えられてきた人生を、ゆっくりと「自分の人生」として引き受け直していくための、地道で大切な練習です。東大には、こうしたYさんの歩みを支えてくれる学生相談所や精神保健支援室といった機関も整備されており、一人で抱え込まずに済む環境も整いつつあります。
「賢く生まれた」ということは、本来であれば、本人にとっても親御さんにとっても、大きな祝福であるはずです。それが「呪い」のように作用してしまうのは、賢さそのもののせいではなく、賢さが過剰な期待のスイッチを押してしまうという、その周囲の構造に問題があるのだと思います。
Yさんがいま続けている「自分で選ぶ」という小さな練習は、長い目で見れば、賢さを再び祝福として受け取り直すための、最も重要な第一歩なのかもしれません。


