近鉄の現場には、はっきりとした共通認識があります。それは、「だろう」「よかろう」という判断は、決して通用しないということです。
「たぶん大丈夫だろう」
「これくらいならよかろう」
日常生活では、ごく普通に使われる言葉です。しかし鉄道の現場では、その一言が、安全には決してつながりません。むしろ真逆にあるものです。鉄道は人の命を預かる乗り物です。しかも毎日、何万人、何十万人という暮らしそのものを背負って走る。
だから近鉄では、判断に感覚や雰囲気を持ち込むことは許されませんでした。
“大丈夫やと確認した”んか?
現場で繰り返し投げかけられた言葉があります。
「それは“大丈夫やと思う”やなくて、“大丈夫やと確認した”んか?」
この問いは、単なる注意や指導ではありません。近鉄マインドを守るための合言葉でした。近鉄マインドとは、精神論ではありません。気合や根性でもない。むしろその逆で、判断を言語化し、根拠を確認し、次の人に引き継げる形にする極めて現実的で、理性的な企業文化でした。
だから、近鉄マインドは「何かを成し遂げるためのスローガン」ではなく、「何も起こさない1日を守り抜くための姿勢」として存在してきました。私たちは日々ニュースにもならない毎日を送っています。その裏側には、鉄道マンの無数の「だろう」を排除した判断が積み重なっています。
私は近鉄という会社は1本の大樹ではなく、「森」として捉えています。鉄道、バス、不動産、百貨店、ホテル、観光、流通。それぞれが独立した事業でありながら、安全と確認という共通の根で、確かにつながっている。
どれか1つが突出するのではなく、どれか1つが勝手な判断をしない。森全体で風を受け止め、森全体でバランスを保つ。それが近鉄という企業集団の姿であると。
近鉄グループの歩みは、常に地域とともにありました。鉄道を延ばすという行為は、単なる路線拡張や収益確保ではありません。交通の行き届いていなかった土地に根を伸ばし、線路を通じて需要を届け、人々の暮らしの選択肢を広げ、未来への可能性を拓く営みだったのです。

