目の前で困っている子どもがいれば手を差し伸べる。それが教員という職業の核にあった倫理のはずでした。しかしその倫理が、いまや「差をつけてはならない」という別の倫理に侵食されつつあります。全員に等しく無難に接することが、組織にとって最もリスクが低いという設計が、現場の標準になりつつあるのです。
一人の生徒に肩入れすることが、否定される
挨拶や消しゴムの話は、一見ささいに見えます。しかしこの「公平性の罠」の本質は、一人の生徒に対する個別の踏み込みが、構造的に否定されていくという点にあります。
かつての「いい先生」のイメージには、一人の生徒に深く肩入れする姿が含まれていました。クラスでうまくいっていない子に、休み時間ごとに声をかける。家庭環境が厳しい生徒の進路相談に、放課後何時間でも付き合う。そうした「えこひいき」と紙一重の関わりが、ある生徒の人生を支えてきたという例は、教育現場には数えきれないほどあります。
しかしいまは、「あの子だけ特別扱いされている」という保護者の声が入った瞬間、その関わりは「公平性を欠く対応」として処理されかねません。教員の側も、一人の生徒に深入りすることのリスクを学習し、自然と全員に均等に薄く接する方向に最適化されていきます。

