結果として、現場では「強く言わない」「踏み込まない」ことが、教員にとって最も合理的な選択肢になります。叱るリスクは個人が負い、叱らないことのコストは社会全体で薄く分け合う。そうした構造が、教室から少しずつ熱量を奪っていきます。
挨拶の声が大きいだけでクレームになる
そしていま、教員に求められる「配慮」の射程は、かつて誰も想定しなかった領域にまで広がっています。
ある私立中学の入試の朝、若手の教員が受験生たちに「おはようございます!」と明るく、はっきりとした声で挨拶をしました。緊張している受験生たちを少しでもほぐしたい、という意図だったといいます。
ところが後日、保護者から学校にクレームが入りました。「あの挨拶が大きすぎて、うちの子が萎縮した」。学校側に悪意も落ち度もなく、むしろ受験生を励ますはずだった一声が、保護者の主観によって「不適切な対応」として処理されてしまったわけです。翌年以降、その学校のマニュアルには「受験生への声かけは控えめに」と書き加えられたといいます。
似た現象は、試験中の「消しゴム」をめぐっても起きています。大規模な公的試験の監督マニュアルには、受験生が落とした消しゴムを監督者がむやみに拾ってはならない、と明記されているものがあるそうです。理由はシンプルで、監督者が気づいて拾った生徒と、気づかれずに拾われなかった生徒のあいだに、対応の差が生じるからです。後から「うちの子だけ拾ってもらえなかった」とクレームが入れば、試験の公平性そのものが揺らいでしまう。

