上洛して療養した半兵衛の体調は少し良くなりますが、半兵衛は「播磨にて死なむことこそ軍場に命を落すに同じかるべし」(播磨で死ぬことは戦場で命を落とすことと同じだ)と述べると、病を押して播磨に下るのです。そして6月に亡くなったと『豊鑑』は記します。
半兵衛の死で「秀吉限りなく悲しび」
同書には「秀吉限りなく悲しび」とあり、半兵衛を失った秀吉の慟哭が伝わってくるようです。「劉禅(蜀漢の第2代皇帝。父は有名な劉備玄徳)、孔明(軍師として名高い諸葛孔明)を失ひしに異ならず」との表現も同書ではなされています。
秀吉が半兵衛を失くしたのは、劉禅が孔明を失ったに等しいという意味であり、惜しい家臣を亡くしたということです。半兵衛には「病弱」「婦人の如し」といったイメージもありますが「播磨にて死なむことこそ軍場に命を落すに同じかるべし」との言葉から想像するに、武人としての気迫に満ちあふれた人物だったと筆者は考えています。
(主要参考文献一覧)
・池内昭一『竹中半兵衛』(新人物往来社、1988年)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)
・渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(新人物文庫、2014年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
