一方で、心の中には子どもの頃から芸能界への憧れがありました。
「映画好きの母が勝手に東宝シンデレラオーディションにエントリーしてくれたことがきっかけで『女優になりたい』という夢が芽生えました。ダンスも高校まで続けていましたし、表舞台に出ることに興味があり、お芝居をしたいと思っていたので、東宝シンデレラオーディションきっかけで事務所に入って、大阪でモデルの仕事を始めました」
憧れの芸能界を目指す中で、彼女は最高学年になります。進学校ということもあり、周囲の同級生たちは志望していない大学でもとりあえずどこかには入ろうという空気がありましたが、香椎さんは大学進学を選びませんでした。
「芸能界に入りたい気持ちも3割程度あった」と語りますが、大きな理由は彼女自身の「“とりあえず行動”というのが苦手だった」ことが大きかったようです。
「学びたいことや、大学に行ってやりたいと思うことが当時はありませんでした。時間と学費がかかる大きな決断なのに、高校を出てすぐに大学に行くことにも疑問を感じていました。今思えば生意気ですし、そもそも大学に行ける前提で考えているのもおかしいですが、私は自分が『絶対にこれを学びたい』と思ったタイミングで大学に行った方がいいと考えていたんです」
東京で5年半、芸能とアルバイトを掛け持ち
そうして高校を卒業した香椎さんは、18歳で上京します。舞台や現場の仕事をこなしながら、飲食店でアルバイトを続ける生活を送りました。ラーメン屋、回らない寿司屋、韓国料理屋、焼肉屋など、業種を変えながら転々としたのには理由がありました。
「芸能の仕事に活かせるのは人間観察だと思っていて、それができるのが接客業だと思いました。接客業でいろんな場所を経験すれば、いろんな人を観察できると思いました。それが後の人生を考える中でもいい経験になりました」
最初は「刺激があっていい環境だと思っていた」東京生活。しかし、彼女の人生を大きく変えるタイミングが23歳で訪れます。それがコロナ禍への突入でした。
