そして倭国王の交代によって王墓の仕様が更新され、これに伴い地方の有力首長墓でも墳墓の更新が行われたという。
箸墓古墳の特殊性としてその規模が挙げられる。墳丘長約278メートル、高さ約30メートルを誇り、全国第11位の規模だ。箸墓古墳を超える規模の前方後円墳は4世紀中頃から後半の渋谷向山古墳(墳丘長約302メートル、高さ約25メートル)まで待たなくてはならず、100年以上にわたって箸墓古墳は日本最大の墳墓だったことになる。
一般的に築造物は技術の向上によって徐々に巨大化していくイメージがあるが、実際には画期となった首長が誕生したタイミングで、巨大墳墓が築造されることが多い。
中国では、秦の始皇帝陵は東西500メートルを超える方形マウンドで世界一の規模を誇るが、その後、長期にわたって王朝を営んだ漢では始皇帝陵をモデルとして、ダウンサイジングした皇帝陵が続くことになる。
これは日本の大王クラスの巨大前方後円墳の築造においても同様で、テストタイプの築造、規格となる巨大前方後円墳の築造、ダウンサイジングした同規格の前方後円墳の築造という流れとなっている。
同時期の朝鮮半島の墳墓には方形が多い。4世紀に入ると朝鮮半島南東部の新羅では円墳が築造されるが、30メートルを超えれば大型とされる。高句麗では積石塚による方形墓が築造され、4世紀後半には好太王墓である太王陵が造られるが、一辺は約63メートルだ。
朝鮮半島ではヤマト王権の大王墓のような規模の古墳は築造されることはなく、巨大国家である中国を除けば、東アジア圏でも箸墓古墳の突発性・特殊性は際立っている。
朝鮮半島では、新羅・百済・高句麗の分裂状態であり、墳墓築造に注力することは難しかったが、古代日本の有力勢力がほとんど加わったヤマト王権では、軍事力ではなく古墳築造にリソースを傾けることができたということだろう。
高さが示す「被葬者の権威」
巨大な墳墓を築造する理由は、古今東西を問わず、その威容を共同体に住む人々、あるいは外交使節に示す意味がある。つまり、「見せる」ことに重要な意味を持つ。そのため、交通路の要衝や船が行き交う川沿い、海上や平地から見上げる丘陵部などに築造された。
現在は多くの巨大前方後円墳は樹木に覆われているが、箸墓古墳をはじめとする大王クラスや有力首長の前方後円墳は葺石で覆われており、光が当たると白く輝き、見る者に大きなインパクトを与えたことは想像に難くない。

