考古学者の松木武彦氏は、人がどのように認識し分類するかという認知科学を導入した認知考古学の観点から、古墳は墳丘長ではなく高さに重要な意味があると主張した。
巨大前方後円墳を見た場合、人はその横幅(墳丘長)よりも高さに意識を向けやすい。また、死亡した首長が共同体の神となるためには、少しでも高いところに埋葬し天に近づける必要があった。そのため、最も高い後円部の墳頂に首長が埋葬された。
さらに前方後円墳は、前方部からくびれ部まで下がり、そこから再び後円部に登るように造られている。松木氏はこれを「天空のスロープ」と呼び、後円部頂上に眠る死者の霊を仰ぎ見る演出が行われたと指摘した。
遠近法によって後円部がより遠く、より巨大に見える
また、前方後円墳の前方部は長方形ではなく、台形をしており、接続部がくびれている。方形部上から後円部を見ると、後円部にかけて徐々に方形部が狭まっていき、遠近法によって実際よりも後円部がより遠くに、より巨大に見える効果がある。
前方後円墳の墳形について、横から見た場合のバリエーションについて述べたが、墳丘上で行われる祭祀においても前方後円形は重要な意味があったのである。
ところが後世にはその意味は失われ、前方部にも埋葬施設が設けられるようになり、また何度も埋葬できる横穴式石室が墳丘の頂上ではなく低い部分に設けられるようになったと考えられる。
初期の前方後円墳の後円部の高さを比較すると、主系統では、箸墓古墳が約30メートル、西殿塚古墳が約16メートル、行燈山古墳(10代崇神天皇陵)が約31メートルとなっている。一方で、副系統の桜井茶臼山古墳が約24メートル、メスリ山古墳が約19メートル、渋谷向山古墳(12代景行天皇陵)が約23メートルとなっている。
執政王である副系統がそれほど高さに大きな差が見られないのに対して、神聖王の主系統では2代目の西殿塚古墳のみおよそ半分の高さとなっている。一方で、実在する最初の「天皇」とされる10代崇神天皇の墳墓とされる行燈山古墳では高さでは箸墓古墳を若干上まわるほどの規模となっている。
以降、ヤマト王権は基本的に男王が主体となるが、崇神天皇がその始祖的な存在であることが墳丘の高さからも読み取れる。


