また前方部が台形状であることから円と鋭角の三角形が重ねられたものとして、円を女性器、三角を男性器として男女の統合を意味するという説もある。これは『日本書紀』でオオモノヌシと神婚したモモソヒメの伝承に通じるが推測の域を出ていない。
多くの人員と長い年月を要する巨大古墳の築造に、わざわざ方形と円形を組み合わせた複雑な構造を用いたことは、この形状に必然性があったことを物語っている。
そのヒントとなるのが、箸墓古墳の直前に築造されたホケノ山古墳である。ホケノ山古墳はそれ以前の4基の纒向型前方後円墳にはなかった葺石(ふきいし)が施され、初めて段築(2段)が設けられた。この2つの特徴は箸墓古墳に継承された。
大阪公立大学教授の岸本直文氏は、古墳の形状などから主系統と副系統があることを示したが、その中で大きな違いの1つが段築の違いである。
大和古墳群の6基の前方後円墳のうち主系統では、後円部と前方部の段築数が同じ(箸墓古墳4段、その他3段)であるのに対して、副系統では後円部3段、前方部2段となっている。その古墳がどのようなグループに属しているかが、横から見ればすぐにわかるのだ。
もし単なる円墳では系統別の違いを明確化することは難しい。一方で前方後円墳の場合、例えば、後円部に3つ、前方部に3つのバリエーションがあれば9パターンの系統を表現できる。さらに後円部の直径と前方部の長さの比率や両者の高低差なども加えれば、ほぼ無限に系統のパターンを表現することができる。
前方後円形は一見、高度な築造技術や長い工期を必要とする非合理な形状に見えるが、どのグループに属しているかを示すのに有効な形状なのだ。
ヤマト王権の墳形の継承システム
前方後円墳は大王墓としてだけでなく、その後、全国で築造されることになる。前方後円墳を築造することはヤマト王権に所属することを示すメンバーシップを象徴するモニュメントとして機能した。地方で築造される前方後円墳は独自の形状をしているわけではなく、大王墓の規格に合わせて築造されているのだ。
箸墓古墳でいえば、岡山県岡山市の浦間茶臼山古墳(墳丘長は箸墓古墳の約2分の1)、大阪府高槻市の弁天山古墳A1号墳(同約3分の1)、兵庫県神戸市の西求女塚(にしもとめづか)古墳(同約3分の1)などの相似墳がある。さらにこれらの地方の相似墳をダウンサイジングした古墳が築造された。
岸本氏はこうした序列化を「前方後円墳共有システム」と名付け、倭国王と直接的な関係を結んだ地方の有力首長が生前に同じ墳丘形式を模倣し、類似墳を築造する関係が構築されたとする。

