振り返れば、ドリフもパロディー要素が多分にあるバンドだった。そもそも「ドリフ大爆笑」のテーマソングも、戦時中に歌われた「隣組」の替え歌だ。こうした脈々とつながるツッコミの連鎖が、今回のミーム発生の素地としてあったと考えるのは、いささか強引だろうか。
「うちで踊ろう」にも通じる、“コントロールを手放す”勇気
サカナクションに話を戻すと、本人が好意的に捉えていることは、そのブームに乗ろうとする人々には追い風となる。おそらく今後も「夜の踊り子」をはじめ、同バンドの楽曲を使ったミームは発生するはずだ。
ここでふと思い出したのが、コロナ禍に起きた「うちで踊ろう」のヒットだ。外出自粛が世界的風潮になる中で、星野源さんがインスタグラムで発表したことに端を発し、芸能人も続々と“勝手にコラボ”。当時の安倍晋三首相が投稿し、「政治利用」との批判を浴びる一幕もあったが、これも含めて、先の見えない社会に光を当てたのは記憶に新しい。
アーティストは楽曲に思いを込める。聴いた人々は、そこに自分の思いをのせる。そうして新たに生まれた文脈は、アーティストにとって不本意なものかもしれない。本来なら、ひとり歩きしたイメージを正すために、改めて作品の意図を語りたくなるところだろう。
しかし「夜の踊り子」ミームで山口さんは、傍流であるはずの文脈をノリノリで取り入れた。否定するのではなく乗りこなすことで、新たなファン層と再ヒットという果実を得たのだ。ファンコミュニティーとの関わり方に、ひとつの正解を見いだしたと言っていい。
自分の手を離れてひとり歩きし始めたものを、力でねじ伏せようとするのか、それとも面白がって乗っていくのか――。コントロールを手放す勇気こそが、思わぬ勝機を呼び込むのかもしれない。
