URALAの市民ラウンジも同じ構造だ。満席だった利用者の多くは近隣住民である。ラウンジ内で各々の時間を過ごし、そのまま帰っていく。行動範囲は駅とURALAの内部で完結しており、周辺商店街まで人の流れが広がっているわけではなかった。
土浦駅前では、観光、行政、滞在の各機能が、それぞれ個別に利用されている。しかし、その利用者が街全体を歩き回る構造にはなっていないように見えるのだ。
駅前は「回遊する街」に戻らなかった
百貨店と大型店が集積していた時代、土浦駅前には回遊動線が存在していた。
1986年の歩行者調査では、「駅、イトーヨーカドー、西友、小網屋を結ぶ日字型の回遊動線」が形成されていたと記録されている。買い物客は駅前を歩きながら複数の店を巡り、街全体に人の流れが広がっていた。
しかし、ネットショッピングの普及が百貨店を取り巻く状況を大きく変えた。百貨店の最上階から下って、様々な物を購入していた時代は終焉し、目的を持って特定の店舗にだけ足を運ぶようになった。
その象徴が、駅東口から伸びる「土浦ニューウェイ」だ。85年のつくば科学万博に合わせて整備された高架道路で、商店街をまたぐ形でつくば方面へ伸びている。本来は「街へ導く道」として作られたが、駅前を通り越して目的地へ直接向かうための道になってしまった。
85年に開業した「モール505」も同様である。開業当時はテナントで埋まり、駅前再開発の象徴だった。しかし、モール505は駅前とはいえ、駅から徒歩10分ほどの場所にある。店の閉店が続いており、わざわざ行く目的がなくなっている。大きな建築空間は残っているが、その中を歩く人は、筆者以外に1人見かけただけだった。
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【現在の土浦駅前を支えているのは「広域から来る買い物客」ではない】
