貧しさのなかで育った子どもにとって、家族が無理をしてくれることは、ときにプレッシャーにもなる。だが布施川さんにとっては、それがもう一度立ち上がる根拠になったのだろう。
もっとも、浪人生活もまた、勉強だけに没頭できる1年ではなかった。予備校までの定期代や昼食代は自腹。
だから彼は、駅前のドラッグストアで週3日、1日8時間ほどアルバイトをしながら勉強を続けた。受験に必要な時間も、生活に必要なお金も、どちらも自分でひねり出さなければならなかった。
そこで生まれたのが、「お金も時間も節約する勉強法」だった。
「浪人したからといって、勉強だけしていればいいわけじゃなかったんです。きれいごと抜きに、かなりしんどかった。でも、時間もお金もない状況だったからこそ、“何をやるか”より“何をやらないか”を真剣に考えるようになった。今の自分の勉強法って、結局そのときの切迫感から生まれたものなんです」
限られた時間で成果を最大化することに徹底的にこだわった。
1年後、布施川さんは東京大学に合格する。母の病気、父の仕事の不安定さ、借金、アルバイト。そうしたものを一つも脇に置けないままつかんだ合格だった。
「東大に受かったときはもちろんうれしかったですけど、それ以上に、“これでようやく親に少し返せる”という感覚のほうが強かった気がします。自分ひとりで勝ち取ったというより、家族がぎりぎりのところでつないでくれた結果でした」
東大合格は、布施川さんにとって栄光のゴールではなく、ようやく家の事情だけに人生を決められずに済むかもしれないと思えた、最初の到達点だったのではないか。
現在は“環境に恵まれない子”を支援する立場に
そして現在。母の乳がんは幸いにも無事完治した。
布施川さんは教育ライターとして活動し、その経験を、自分と同じように環境に恵まれない誰かのための言葉に変えている。さらに、経済格差・地域格差の只中にある子供を支援する『一般財団法人ドラゴン桜財団』の評議員も務める。
幼いころ、遊び半分でキーボードに触れていた“文字の早い子”は、家計の制約や母親の乳がん、浪人期のアルバイト生活をくぐり抜けて東大へ届き、いまは自分と同じように環境に恵まれない子どもたちへ学び方を手渡す側に立っているのだった。
