「受験直前に母の病気がわかったときは、さすがに頭が真っ白になりました。ただ、そのときに“自分も受験生だから”とは言っていられなかったんです。父は仕事で動けない、母には付き添いが必要。だったら自分がやるしかない。今振り返ると、あの時期は受験生というより、家族の一員として必要なことをこなしていた感覚のほうが強いですね」
受験勉強の合間を縫って母の入退院の送り迎えや手術の付き添いのほとんどを引き受けた。抗がん剤の副作用で、母は横断歩道を渡るだけでも5分、10分とかかったという。
そうした状況で、勉強だけに集中できるはずがない。もともと勉強のスタートが遅れているうえに、家庭の危機が重なった。焦りもあった。
そうして現役の東大受験は、不合格に終わる。だが、その不合格は、完全な絶望ではなかった。東大が不合格者に示すランクで、布施川さんは中位のC判定。高校3年夏の模試では80点満点で3点しか取れなかった数学も、本番では40点近くまで伸びていた。
「もちろん落ちたことは悔しかったです。でも、まったく歯が立たなかったという感じではなかった。模試のころよりは確実に前に進んでいたし、“あと少しで届くところまで来ている”という手応えもあったんです」
東大に不合格…親が借金して浪人費用を集めてくれた
不合格ではあった。けれども、自分が東大に手の届かない場所にいるとは、もう思わなかった。あと少し、もう1年で届くかもしれない。その感覚が、浪人という選択肢に現実味を与えた。
通常であれば、浪人は不可能な家計状況だった。しかしその背中を押したのが親だった。
布施川さんが浪人を望むと、両親は方々に頭を下げて回り、消費者金融からの借金も重ねて、どうにか予備校費用を集めてくれた。
「親が借金までして予備校代を工面してくれたことは、実はその当時は知らなくて。今になって重く感じています。とはいえ、結構無理しているんだろうな、というのは当時も察していました。当時はただ必死でしたけど、“浪人を許す”という話じゃなくて、“お前なら届くと信じている”というメッセージだったんだと思います」
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【週3日、1日8時間ほどアルバイト】
