布施川さんが東大を本格的に意識したのは、高校3年の春だった。進路相談で担任から「学業優秀で中高と生徒会長、吹奏楽部でも大活躍、これで東大に受かったらカッコいいじゃないか」と勧められたのがきっかけだったという。
軽い調子のひと言だったが、そこではじめて、自分にもその進路がありうるのだと考えた。
そして東大を目指した大きな理由がもう一つあった。
「東大を目指したと言うと、大きな夢があったように聞こえるかもしれません。でも実際は、もっと現実的でした。私大は学費が高いし、地方の国立に行っても下宿代がかかる。そうやって条件を一つずつ消していった結果、自宅から通える国立大として東大が残ったんです」
つまり、家から通える国立大という条件で東大一択だったから東大を目指したのだという。
目標を定めた時点で、状況は決して有利ではなかった。高校3年生まで部活や生徒会に力を注いできたため、受験勉強のスタートは遅れていた。
加えて、東京大学の学生には親の年収が950万円以上の家庭が多いとされるなかで、布施川さんのスタート地点は明らかにそこから外れていた。
「予備校に通う余裕がないことは、自分でも最初からわかっていました。だから“足りないものをお金で埋める”という発想は持てなかった。独学でどうにかするしかない、というのが前提でした」
東大生の“王道ルート”から外れたところで、布施川さんの受験は始まった。
東大受験の年に母の乳がんが発覚
そして、追い打ちをかける出来事が起きる。受験直前の11月、母親の乳がんが発覚したのだ。帰宅すると父と母が泣いていた。その場面を、布施川さんはいまも鮮明に覚えているという。
母のがんはかなり進行しており、すぐに入院、手術となった。しかもその時期、父親は会社を立ち上げたばかりで仕事がうまくいかず、生活のために働き続けなければならなかった。
そこで、母に付き添う役目の多くを引き受けたのが、受験生だった布施川さんだった。
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【送り迎えや付き添いを引き受けた】
