先日、道東・釧路をふらりと訪れた。市内を歩きながらスマホで地図を眺めていると、「鳥取大通」をはじめ交番や郵便局などに「鳥取」という地名が付けられている。はて、北海道でなぜ鳥取? 九州出身で札幌や小樽にわずか数回しか訪れたことがなく、しかも釧路は初めてという私にとって、鳥取と釧路のつながりは想像がつかない。なぜこんな地名が残っているのか──。
不思議に思いながらも散策中にふらりと立ち寄った書店で、『北海道開拓の素朴な疑問を関先生に聞いてみた』(亜璃西社、2020年)という本が目に飛び込んできた。読書家の方々に、書店に踏み入れると「これは読みたい」「この本は読まねば」と思わせる表紙が目に飛び込んでくることがあると言えば、その感覚に共感してもらえるのではないか。まさにそんな1冊だった。
北海道の「開拓者精神」とは?
北海道といえば「開拓者」「フロンティア精神」といった言葉が通用する地域だと思う。とはいえ、実際にどのような人々が、どんな思いでこの地を切り開いていったのかを、私はほとんど知らなかった。
本書は、北海道の近現代史が専門で、明治期以降に本州から渡ってきた開拓者たちの実像を長年研究してきた関秀志先生が版元の社員2人とともに語り合うものだ。2人からの質問に関先生が答える形で進められる内容に、ページをめくるたびに知的刺激を受け続けた。関先生の祖父は香川県からの開拓移民であり、開拓者としてのルーツを持つ。
筆者が疑問に思った釧路の「鳥取」という地名の背景も、まさにその開拓史の一部だ。帰京し、釧路市の歴史に関する書物など資料を渉猟してみると、その苦労の連続の開拓史が浮かび上がってくる。
明治初期、廃藩置県で職を失った鳥取藩士たちは、生活再建の道を求めて北海道移住を決断した。鳥取県は政府の「移住士族取扱規則」に基づき集団移住を計画。1884〜85年にかけて、鳥取県士族105戸約500人が釧路に渡り、現在の鳥取地区の原型となる集落を築いた。釧路に入ったときには、現地のアイヌの人たちから歓迎されたという証言もある。
しかし、彼らを待っていたのは想像を絶する厳しさだった。
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