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ゴールデンウィークといえば、筆者が育った広島を代表する祭り・フラワーフェスティバルで食べたドラえもんのベビーカステラを思い出す。孫娘に激甘な祖父にねだり、ベビーカステラ片手に祭りを見て回った。ドラえもんの顔だからといって「かわいそうで食べられない……」なんてことはなく、バクバクと口に放り込みながら人混みをかき分けて歩いていた。さて、ここに母との記憶はない。
なぜなら、筆者と母はとても関係が希薄な親子だったからだ。筆者が自身の母親の存在を理解できたのは、なんと……小学1年生の春だった。6歳になっても自分のママが誰なのかわからないほど、関係が構築できていなかったのだ。
小1まで「母親」という存在を理解できなかった
筆者は保育園児の頃から、「私の母親はどこにいるんだろう?」と疑問を持っていた。小学生になり、クラスメイトに聞いて回ったところ、どうやら母親という生き物は家にいるらしいと判明した。
「ママって誰なん?」
「ママはママじゃろ?」
「どこにおるん?」
「家におるじゃろ?」
当時、お互いの頭にはハテナが浮かんでいたことだろう。はたから見ると、本当に意味のわからない会話だったはずだ。しかし、筆者はそんな会話を通し「もしかして、私のママも家にいるのでは?」と気づいてしまった。
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【「家にいる怖い人」】
