当時のカープのあだ名は「万年5位」。勝った次の日はあらゆるお店のポイントが2倍になるほど弱かった。だからこそ、広島県民はカープを愛して応援している。
「ええかカープはのお、雨が降る日より負ける日の方が多いけえ、ワシらが応援しちゃらんといけんのんで?」
祖父は口癖のようにそう言って、テレビの前で大声を張り上げながら応援しているのが日常だった。
そんな中、筆者が試合を観に行く日は勝つことの方が多かった。祖父にとって、かわいい孫娘はカープの試合の日に限って必勝の縁起物に変わるのだ。そんな縁起物としての役割を存分に発揮した年は、腕に持ちきれないほどのベビーカステラと焼きとうもろこしを買ってもらえる。祖父の機嫌をとりつつ、比較的平和な一日をすごすのが小学生時代のルーティーンだった。
この話を聞いて「可哀想だな」と感じる人もいるかもしれない。しかし、祖父任せにされていたとはいえ、筆者はまだマシだったほうだろう。ひとつ上の兄は、祖父にも構ってもらえず(祖父は孫娘である筆者を溺愛する一方で、筆者の兄とは折り合いが悪かった)、家に残っていたからだ。
小1まで母親を認識できなかった希薄な関係の親子の末路
あの絶望から20年以上の年月が過ぎた。ゴールデンウィークをはじめ、季節のイベント事に母親との記憶はない。祖父母宅に預けられている間は基本的に別居していたので、そもそも一緒に過ごした回数が極端に少ないのだ。
結果的に、筆者は母親と絶縁を選んだ。既に3年以上一度も連絡を取っておらず、祖母や元養父からの連絡でうっすら状況を把握している程度の関係になった。明確に「絶縁しよう」と思った出来事もあったのだが、それ以前に幼少期からのネグレクトが尾を引いている。
ドラえもんがいなければ、筆者は母親だけでなく、家族という概念すら理解できていなかっただろう。だが、ドラえもんのおかげで家族の知識があったところであまり意味がなかった。幼少期の筆者は、愛し・愛される家族を得られなかったのだから。
今年も母親との思い出のないゴールデンウィークがやって来て、過ぎ去った。あの日祖父にねだったベビーカステラと焼きとうもろこしを思い出しながら、1人ドラえもんのベビーカステラを焼いている。
