両方の設問から、「東大らしさ」「京大らしさ」が見えてきませんか。
東大は、知を正確に・秩序立てて把握し、再現する能力を求める大学です。だから古文でも、文章の構造、語句、文法、心情の推移を“きっちり”読み解かせる。いわば、知の制度に参加するための知性を選抜する、秀才的なスタンスが強い。
これに対して京大は、知を問い直し、拡張し、自分の言葉で再展開する能力を重視する大学です。古文でも、文学的背景や物語性、和歌といった要素を通して、受験生がどこまで自分の思索を立ち上げられるかを見ている。知の制度を内側から更新できる知性を求める、より創造的なスタンスが表れているように思えます。
古文の出題にもはっきりと表れる“大学としての思想”
このように、古文という一見すると古典的で静かな科目にも、東大と京大の“大学としての思想”ははっきり表れています。東大古文は、秩序だった読解の精度を問う試験であり、京大古文は、文学を通じて意味を掘り起こす思考の深さを問う試験です。
英語では「速さ」と「深さ」の違いが際立っていましたが、国語、とりわけ古文では、「秩序」と「生成」の違いとして、その対照がさらに鮮やかに見えてくるのです。

