24歳のとき、ナイチンゲールは看護婦になることを決意する。だが、両親がそれに頑として反対した。大事に育てた娘が働きに出るだけでも受け入れがたいことなのに、よりによって、看護婦になりたいと言う。
両親はこうまで言って、ナイチンゲールの夢を否定した。
「看護婦という恥ずべき仕事を口にするな」
これだけ拒絶反応を示したのは、理由がある。当時の看護婦という職業イメージが現在とはまるで違ったのだ。
病院はシーツを替えないどころか、壁はコケでびっしり。極めて不衛生なのが当然で、入院するとかえって症状が重くなるくらいだった。
そこで働く看護婦もブランデーをちびちび飲みながら働く老女ばかりで、「酒に酔っていない看護婦などいない」とさえ言われていた。
親に反対されても夢に向かって突き進んだ
ナイチンゲール自身も、看護婦という職業イメージが悪いことは十分に理解しており、のちにこう振り返っている。
「それは台所働きのメイドになると言い出したようなものであった」
だが、ナイチンゲールは上流階級の暮らしが苦痛でしかなかった。こんな陰鬱な思いに苦しめられている。
「年ごとに若さを失っていくこと以外、私が生き続けていても何の得るところはありません」
それよりも別荘の近くに住んでいた貧しい病人の世話をするほうが、よほど価値のある時間のように、ナイチンゲールには感じられたのである。
身近に病人が出れば、積極的に看護にあたったナイチンゲール。看護への思いは募るばかりで、次第に夢を実現させるための行動を起こし始める。
両親に見つからないように、貧民学校や救護所を見学。さらに、両親との海外旅行の間ですらも、病院巡りを行っている。それどころか、母と姉と3人でドイツの温泉に行ったときは、看護婦養成所に3カ月以上も滞在した。
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【なかなか看護婦として働く道が見つからず…】
