現在の台湾軍は、その成り立ちにおいて複雑な背景を持つ。複数の国の軍事制度や思想の影響を受けながら形成されてきたためである。
1924年の孫文が広東省に設立した黄埔(こうほ)軍官学校設立時にはソ連の軍事顧問団の影響を受け、軍内に政治工作(政戦)を担う組織体系が導入された。
その後、49年に国共内戦で敗れた蔣介石政権が台湾へ移転すると、軍の再建と近代化が急務となった。この過程で、日本軍出身者による軍事顧問団「白団」が関与し、精神教育や動員体制などに一定の影響を与えたとされる。
さらに1950年代以降は、アメリカの支援のもとで装備体系や戦術思想が大きく変化し、小部隊戦術などが導入された。
多層的な歴史的要素を持つ台湾国軍
こうした経緯から、台湾軍は多層的な歴史的要素を併せ持つ組織となっている。一方で、戦後長らく指導層の多くを中国から移り住んだ外省人出身者が占めてきたことも指摘されており、一部には従来の中華ナショナリズムに基づく価値観が残っているとの見方もある。
また、「黄埔精神」と呼ばれる規律や服従を重視する価値観が、現代の民主社会で育った若者との間にギャップを生んでいるとの指摘もある。形式的な愛国心の強調が、多様性を重んじる現在の台湾社会と必ずしも一致しない場面もみられる。
今回の事件では、外国にルーツを持ちながら台湾への帰属意識を持つ若者が、出自を理由に侮辱されたと捉えられている。この点で台湾で社会的な反発を招き、問題が一気に拡大したのだろう。
また、多文化社会を前提に軍のあり方を見直そうとする政府の方針に対し、現場レベルでの意識改革が十分に追いついていない可能性も浮き彫りとなった。
台湾国防部は「出自にかかわらず、国軍の軍服を着た者は皆、われわれの兄弟である」との趣旨の声明を発表している。組織文化の変革がどこまで進むのか、台湾社会の関心は引き続き高い。
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【洪仲丘事件とは?】
