私は当時、多産の秘密をさぐるべくマニラ首都圏ケソン市のフィリピン大学人口研究所を訪ねた。ジョセフィーナ・ナティビダド所長(現名誉教授)は端的に説明してくれた。
「貧しい家庭では、子どもを老後の保障と考え、1人の子どもにお金をかけるより、多くを産む。つまり質より量なのです」
これは、途上国に共通する家計の事情である。加えてフィリピンならではの要因もある。
国民の8割が信者とされるカトリック教会の呪縛だ。避妊も堕胎も産児制限も認めない。家族計画や避妊へのアクセスを定めたリプロダクティブ・ヘルス法も教会のロビー活動でなかなか成立しなかった。
ほかにも10代の妊娠比率が近隣国に比べて高いこと、男児願望の強い中国やベトナムと違って男女の分け隔てがなく、産み分けもないこと、社会が子どもに優しいこと、出産と子育てにストレスの少ない文化であることなどが、子だくさんの背景にあるとの解説だった。
確かに交通機関や飲食店でむずかる赤ん坊に舌打ちする人を見たことがなかった。だれかが手を貸し、あやす。大家族のだれかや家政婦が子どもの面倒をみるから、「妊婦の責任は産むことだけ」とさえ言われていた。
21人の子どもを産んだ女性の人生
私はこの時、子だくさんの例として21人の子どもを産んだ女性をルソン島北部パンガシナン州で取材した。生年が私と同じ1955年だったからだ。どんな人生だったのだろう、と想像した。
14歳で3歳年上の牛飼いの男と結婚し、16歳で初めての子を授かって以来、42歳で更年期を迎えるまでほぼ毎年妊娠し自宅で産んだ。後に5人が事故や病気で死んだが、4人の子どもを養子に迎えた。子だくさんの評判を聞いた近所の貧しい母親らが連れてきて、断り切れずに引き取ったという。
34歳の時に最初の孫ができた。訪問当時には15歳の末っ子と23歳の孫が仲良く寄り添っていた。孫は当時で60人を数えた。その後も増えているだろう。
夫が育てた牛の肉を売り、自分もパンやおかずをつくって生計を立てた。子どもたちも仕事を手伝い、一家で助け合っていた。
年金も保険もないが、食事はだれかが運んでくれる。糖尿病の薬代も子どもがくれる。老後の心配は一切ない。 娘たちに多産は勧めないが、子育てに追われた人生に「悔いはない」と言い切った。「だって子どもは神様の贈り物だから」
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【コロナ禍の前から出生率は低下していたが…】
