なぜでしょうか。それはその子が「すでにできる問題」だけを繰り返し、思考を停止させて「処理」していただけかもしれないからです。あるいは、解答を横に置いて、無意識に答えをなぞっていただけかもしれません。
一方で、ある子は1時間かけて1問しか解けず、ずっと首をかしげている。ノートは真っ白に近い。親はそれを見て「もっとテキパキやりなさい」「やる気があるの?」と急かしたくなります。しかし、実はこの子こそが、今まさに「学び」の真っ最中である可能性があるのです。
「学び」が起きているとき、子どもの脳には負荷がかかります。
負荷がかかれば、スピードは落ち、手は止まり、表情は険しくなります。この「非効率に見える時間」こそが、学力が積み上がる貴重な瞬間なのです。
「勉強」は行動であり、「学び」は変化である
ここで整理しておきたいのは、「勉強」と「学び」は似て非なるものだということです。「勉強」とは、いわば「物理的な行動」を指します。
・机に向かって座る
・言われたページのドリルをこなす
・ノートにきれいな文字でまとめる
・決められた時間を消化する
これらはすべて、外側から「見える」ものです。一方で、「学び」とは「内側で起きている変化」を指します。
・「なぜそうなるのか」という因果関係に納得する
・既知の知識と新しい知識が結びつく
・自分の言葉で他者に説明できるようになる
・「わからない」が「わかる」に、さらに「できる」に変わる
極端な言い方をすれば、勉強は「儀式」であり、学びは「アップデート」です。どれだけ長時間、机に座るという「儀式」を執り行っても、脳のOSが「アップデート」されていなければ、学力という成果には結びつきません。
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【「わかる」と「できる」の間に横たわる深い溝】
