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「最初は嫌すぎた」…! プロ野球"元守護神"セカンドキャリアは「45歳で営業職」—球団初「選手出身」営業部長になるまで

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小山田保裕さん
広島東洋カープ、横浜ベイスターズで活躍し引退後、球団職員に転身した小山田保裕さん(写真:筆者撮影)
  • 浦上 早苗 経済ジャーナリスト、法政大学MBA兼任教員(コミュニケーションマネジメント)
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ベイスターズの本拠地・横浜スタジアム(写真:筆者撮影)

憂鬱な気持ちで異動したにもかかわらず、組織にすんなり馴染めたのは、北川さんや加藤さんらのサポートがあったからだ。小山田さんは「あいつらがいなかったらきつかったですね。救われました」と感謝を口にする。

球団は副業を認めており、北川さんは日本代表「侍ジャパン」の井端弘和監督のマネジャーとしてWBCに帯同した。小山田さんは「彼はWBCで休むことを想定し、前倒しで仕事を進めて見事に両立していました」と語る。元選手だからという甘えは一切ない。

小山田さんにとって、営業部での最大の思い出は「最初の成約」だ。

「1年目の12月、同い年の経営者にプレゼンし、キャップの広告契約を獲得しました。キャップはそれまで広告枠が空いていたんです。成約を報告したとき、同僚たちが『おー!やったな』と褒めてくれて、めちゃくちゃ嬉しかったしほっとした。まず一本、まず一勝。試合の成功体験がよみがえりました」

営業のコツをつかむにつれ、小山田さんは「野球と同じで、結果を出すには準備が大切」だと気づく。

「僕は選手時代、めちゃくちゃビビリで試合前もよくえずいていました。自信を持ってマウンドに向かうためには準備を徹底するしかなかった。営業も同じで、クライアントの信頼を得るためには、自社の商材や相手の業界のことを勉強し続け、価値の高い提案をしなければならない」

選手時代の小山田さん(写真:小山田さん提供)

達成すべき部と個人の予算があり、時にプレッシャーにもなる。それも野球選手と同じだ。だが営業の本質は「いろいろな人と連携して、みなに喜んでもらうこと」だとも思い至った。

選手時代から衰えない「結果を出したい」という向上心に加え、クライアントとの付き合いを通じて、自分が「人と話すことや、人を知ることが好きだ」と実感した。嫌でたまらなかった営業は、実は「好きと得意が詰まった、経験を生かせる仕事」だった。

「部長を目指したいけど…」上司に相談

グループリーダーとして部員をまとめながら、自らも15〜20社を担当していた小山田さんは、次のステップである「部長職」を目指すか葛藤があった。

クライアントとの直接の接点が減る役職に、どのようなやりがいがあるのか。そう考えたとき、内示の際に言われた「選手のキャリアを広げる」という自身の役割を思い出した。

小山田さんら球団スタッフがスポンサーのハイセンスジャパンに提案して始まったハマスタバトルは、人気イベントとして定着した(写真:ハイセンスジャパン)

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【プロ野球の選手生命は短い】

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