経験を重ねると「こうすればうまくいく」という正解めいたものが見えてくるため、ついアドバイスをしたくなる。
だがその瞬間、相手は「自分の話が想定内に処理された」と感じ、心を閉ざしてしまう危うさがある。そんなに簡単にアドバイスできるほど浅いものを持ってきたわけではないと、反発を生む。
「否定するなら代案」の落とし穴
特に考え直す必要があるのが「否定するなら代案を出せ」という定説だ。ビジネスの世界ではこれが良しとされるが、創作の現場、ひいては人と深く協働する場面では、これが落とし穴になる。
僕もかつて、もっとこう変えたら面白いのではないかと、自分なりの「代案」を持っていったことがある。
三田さんは「それもいいかもしれないね」と受け取ってはくれる。だが、その裏で「それは僕がやりたかった意図とは違うんだけどな」と感じさせてしまっていたこともあっただろう。
たとえその代案でわかりやすくなったとしても、作家の本来の意図が漏れてしまっては意味がない。「正しさ」や「わかりやすさ」を提示することは、ときに相手の創作意欲や本来の持ち味を殺してしまう。
代案が思いつかないからといって発言を控えてしまえば、コミュニケーション自体が閉じてしまう。
だから、本当に必要なのは「代案」ではない。「感想」だ。
「ここが面白かった」「ここは読むのに少し時間がかかった」「ここでモヤモヤして立ち止まってしまった」。
そうした、自分の心が動いた事実や、違和感を率直に言葉にすることだ。ストーリーをどう組み立てるか、具体的にどう直すかは作家の領域だ。
編集者がすべきなのは、読者としてどう感じたかという「体験」を伝えることに尽きる。「ここが読みづらかった」と伝えれば、作家の側から「じゃあ、こう直したらどうだろう?」と解決策が出てくる。
その解決策は、僕が考えた浅い代案よりも、ずっと作品の意図に沿った素晴らしいものになる。
ビジネスの会議でも同じかもしれない。「反対意見には代案を」と迫るのではなく、なぜ自分がそこで立ち止まっているのか、その「モヤモヤ」を言語化して共有する。そうすると、相手も一緒に考え始め、そこから対話が生まれる。
クリエイティブな現場に正解はない。その中で交わされる会話は、正しさを競うものではない。「感想」や「違和感」を起点にすることで、初めて相手の耳が開き、共同作業の入り口に立てる。
「どうすればもっと良くなるか」を一緒に探していくプロセスこそが、本当の対話なのだ。

