その一方で、頭を布で包んだ「僧体」と思われる者が命乞いをし、これを哀れに感じた織田方が見逃すとの記載もあります。
『武功夜話』では木下藤吉郎(秀吉)も比叡山攻めに参加したとし、1500人を率いていたといいます。同書は比叡山の受難を「自業自得」と突き離しています。
明智光秀の意外な一面
さて、比叡山攻めの10日前、織田の家臣・明智光秀は雄琴(滋賀県大津市)の領主・和田秀純に書状を書いています。そこには、比叡山東麓の村「仰木」を「なでぎり(撫で切り)」にすることが自分の「本意」だとの文言があるのです。
撫で切りとは、多くの人々を斬り捨てることをいいます。仰木はかつて浅井・朝倉方の陣所となっていました。浅井・朝倉に加担した仰木の人々を虐殺すると光秀は述べているのです。
ドラマなどでは光秀は信長の「暴挙」を制止する役回りですが、書状からはそれとは異なる光秀の顔を窺うことができます。比叡山の焼き討ちを回避する手段は、延暦寺が信長の意向に従い、信長に味方するか、中立の立場となることだったでしょう。しかし、比叡山はそれを拒否したことで、大きな打撃を受けたのです。
(主要参考文献一覧)
・桑田忠親編『豊臣秀吉のすべて』(新人物往来社、1981年)
・藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社、2007年)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)
・渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(新人物文庫、2014年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
