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週1勤務のパート出身女性が社長に…中小企業を一変させた"脱・下請け"経営のすごい中身

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かつて週1日勤務のパート従業員だった女性が変えた(写真:特殊衣料)
  • 坂本 光司 経営学者、人を大切にする経営学会会長
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啓子さんは、2人の母親のお世話や子育てを大切にしなければと考えていたので、いったんは断ろうとしましたが、話を聞いていた2人のお母さんが「主婦が3人もいるのだからいいじゃない。外で仕事をすれば、楽しいこともいっぱいあるよ」と背中を押してくれました。そこで、週に1日だけ、叔父さんが経営する大人用の布おむつのクリーニング会社で働くことにしたのです。パート従業員を中心に社員数15名の小さな企業でした。

経理・総務の業務をする約束でしたが、なにせ小さな会社なので、現場に入ってクリーニングを手伝うのはもちろん、集金、クレーム対応、顧客への納品など、なんでもこなしました。ここで役立ったのが、以前働いていた雪印乳業の総務部での仕事です。早くて正確な池田さんの仕事ぶりを見た叔父は、「正社員として、毎日働いてくれないか」と池田さんに頼み込みます。池田さん自身、仕事に面白さを感じていた矢先でした。家族からも「やってみればいいじゃない」と後押しされて、池田さんは正社員として勤務することになったのです。

正社員になった池田さんは、事務処理だけでなく、社長を代行するような仕事もそつなくこなし、入社して7年目には、ナンバー2の専務取締役になっていました。1996年のある日のことです。池田さんは創業者である田中さんから、「80歳を過ぎたので引退したい。この事業を後継してくれないか」と相談されます。

池田さんは「補佐役ならともかく、社長になるのはちょっと」と、ずいぶん悩みました。中学生のとき、お父さんが経営していた会社が倒産し、家庭が壊れそうになってしまったことをよく覚えていたからです。このときも、背中を押してくれたのは家族でした。結局、池田さんは家族の全面的な賛同を得て、株も買い取り、金融機関からの借入金の保証人にもなりました。退路を断った池田さんは、「この会社を絶対に潰さない」「社会に迷惑をかけることは決してしない」と決心します。

工場が40年間で半分以下に減った事情

1983年当時、わが国には約78万もの工場が存在していたのですが、現在では約30万に減少しています。この40年間で半分以下に減ってしまったのは、不況のせいではありません。好不況や為替レートの変動に関係なく、右肩下がりに減少しているからです。

その原因は、物的成熟化がもたらす経済のソフト化・サービス化や、ボーダーレス化・グローバル化による国際分業の拡大、価格競争力強化のための部品の共通化や共有化・一体化、ピラミッド型産業組織の崩壊がもたらす受注競争の激化、経営者や社員の高齢化と後継者不在がもたらす廃業の増加などといわれています。しかし私は、これらが主因ではないと考えています。同じ環境下にありながら、成長し発展し続けている中小企業も数多く存在しているからです。

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【「娘のために、軽くて洗える保護帽をつくってほしい」】

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