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「会社と恋愛したい」「死ぬ気になりゃなんだってできんだよ」…会社が自己実現と結び付いていた時代のドラマの"異様さ"

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『サラリーマン金太郎』のメインビジュアル
『サラリーマン金太郎』を手がかりに、日本人の労働観の変化を見ていきます(画像:TBSチャンネルより)
  • ドラジ ドラマウォッチャー・批評家
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このように会社を恋人として喩えることができたり、命を懸けるものだと断言できるのはなぜか。それは、当時「労働は自己実現できるものだ」という価値観があったからではなかろうか。

「労働」は日本人にとってどのようなものであったのか。2025年に新書大賞を受賞した、三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(以下、『なぜ働』)を補助線に、労働に対する認識の変遷をたどっていこう。

経済成長から失われた10年(20年)へ

日本人の労働を語るべく、まずは経済状況の整理をしよう。戦後、日本経済にとってのメインテーマは「経済成長」「物質的な富の拡大」であった。労働は生きるために不可欠であり、労働の先には進歩があると信じられていた時代だ。労働観には当然波はあったが、「成長神話」が1980年代頃まで機能したというのは社会学者の広井良典が指摘する通りであろう(詳細は、前回の『昭和の時代、父親たちは驚くほど家事も育児もしなかったーー昭和の「疑似家族ドラマ」にZ世代が衝撃を受けたワケ』を参照してほしい)。

90年には株価暴落を契機として、バブル経済が崩壊する。そして日本経済は「失われた10年(20年)」と呼ばれる時代に突入することとなる。景況の慢性的悪化が続いた際、国は様々な領域で規制緩和を行うようになった。規制緩和を行うということは、多くの企業や人が市場に参加することで競争が加速されることを意味するが、その結果、個人のキャリアは自己責任で自己実現すべしという価値観の醸成にまでいたったのである。

『なぜ働』で三宅が90年代を「〈内面〉から〈行動〉へ、〈政治〉から〈経済〉の時代への転換点だ」と指摘しているのも頷ける。

話を『サラリーマン金太郎』に戻そう。Z世代の私が本作を見た時、労働は体を張り、命を懸けて行うべきだという描写に驚きを隠せなかった(取引先に土下座したり、徹夜で仕事したりしている様子はさすがに体張りすぎだろと正直引いた)。ただ、放送された90年代終わりの時代性を見ると、過剰すぎだと一概に否定できないなという気持ちにもなった。

「労働での成功がそのまま人生の豊かさと直結していた時代」から、「不況の中で競争を強いられ、労働で自己実現を求めざるを得ない時代」へ。『サラリーマン金太郎』はこうした転換期における日本人の労働観を色濃く映したドラマだったのかもしれない。

対して、現代の作品はどうだろうか。映画やドラマを見ると労働の描写にここ数年で明確な変化がみられる。「自己実現としての労働」を描いた『サラリーマン金太郎』と比較すると、現代の作品は「自己破壊としての労働」が描かれることが多い。後編で詳しく述べていきたい。

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